3月 17

忘れもしない、弟の誕生3/11の14時40分過ぎ、会社での仕事中に地震が来ました。
何度も続く余震で、会社で批難して様子を見ていたのですが、会社の非常電源も落ち、帰宅命令が出ました。

職役のある社員は、二次災害を避けるべく、電気機器やガラス器具、薬品類のチェックで帰宅は19時となりました。

3/9にも大きな地震が遭ったのですが、ナンの準備もしない状態でした。
停電による心配と、繋がりにくい携帯。地震の状況も、ラジオで断片的に得た情報しかありません。

ウチには、反射式ストーブがありましたので、何とか暖を取れました。
(でも実家に持って行かれ、寝る時は、何も無し…orz)
灯油ストーブ

手回し充電式のLEDライトと携帯用充電器のお陰で、何とか明かりも確保出来て、夜は家族でご飯を食べ、そのまま就寝。この時は、停電も何れ復旧するだろうと思っていました。

次の日、天気はでした。
ソーラーパネルで携帯や充電式電池を充電しつつ、ガソリンスタンドへ並びました。
ソーラーパネルで充電中
ヨリによって、車には全くガソリンが入っていません。Emptyランプが点灯しています。
街の一部には電気が来ていた様で、一部のガソリンスタンドは、上限1000円で営業。
手動で給油をしていたガソリンスタンドも10Lの制限あり。
4回並んで、何とか車の給油は終了。

この日、夕方になっても停電復旧はありませんでした。
昔、友人から頂いたランタンがあったことを思いだし、倉庫を探しました。
ホワイトガソリンも僅かながら買い置きがあったので、慣れ無いながらも、何とか点火。
とても明るいし、暖かい。
ランタン
この灯りで、家族で夕食を取り、電気を諦め、寝る準備をしていた20時頃、電気が付きました。

溜まっていた洗濯物を洗い、シャワーを浴びました。
TVを付けると、信じられない光景が・・・・・・

震災の被害の大きさを初めて目の当たりにしました。
とても信じられません。本当に日本?と疑いたくなる光景でした。

更に次の日は、会社に招集し、今後の操業予定の打ち合わせと、社員への連絡に半日。
会社へは約50%程度の電力が供給されると言うことで、立ち上げの準備に半日。

結局、1日会社で過ごし、帰りに10Lのガソリンを何とか確保して、帰宅。

震災から丸2日間の様子でしたが、東北地方でも秋田県は被害が少なく、大変不謹慎ではありますが、ほっとしました。

ただし、食料品や生活用品、ガソリンの供給は、ほとんど滞っています。
今のところ、毎日出社していますので、通勤用のガソリンが残り7日分。
連日、ガソリンスタンドは長蛇の列です。
報道では、回復しつつあるガソリン供給ですが、この長蛇の列に並ぶ余裕はモチロンのこと、帰宅時には営業が終了しており、手に入れる手段は、休日のみ。
その休日も、かなりの混雑が予想されています。

中には、残量の少ない車のみ給油を実施しているガソリンスタンドもありますが、本当に供給量が回復しているのであれば、正確な情報をアナウンスして欲しいです。

ちゃんと手に入ると分かれば、混雑も解消するでしょうし、安心感があります。

避難生活を送られている方々に比べたら、申し訳ないくらい恵まれた生活かもしれませんが、今は、自分のことで精一杯です。

written by kiyokiyo \\ tags:


2 Responses to “東日本大震災後の初日記”

  1. 1. としけん Says:

    まずはご無事なようでなにより

    ガソリンは車通勤者には問題ですよね
    被災者の方々には申し訳ないですが、それ以外は自分は普段通りなのでガソリンが無いのが際立っている感じです(食料は釣った魚・暖房は薪ストーブなどです)

    ニュースではLPガスも供給不足になるかもしれないとのことなので、なるべく節約してます
    早く被災地含め、皆が普段通りの生活に戻って欲しいものですね

  2. 2. kiyokiyo Says:

    としけんさん>
    としけんさんも、ご無事で何よりでした。
    GSの混雑は、ほとんど人災に近いと思います。
    本当に必要な人と買い溜めをしておきたい人の区別をすることは出来ませんが、その辺は、GSや行政がしっかりアナウンスすることが大事だと思います。
    大館市内のGSは、かなり混雑が解消されたと思いますが、こちらはまだ混乱が続いています。
    被災された方には、申し訳ないのですが。。。

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